PROFILE

ひめの たかき
(1980. 12. 16 -)
東京都板橋区出身
B型

ギタリストとして

都内で活動していたインディーズバンド”DAYBREAK”、”BLAZE CORE”のギタリストを経験。
恵比寿GUILTY(のちの渋谷GUILTY)や池袋LIVE INN ROSAを中心にライブ活動を行っていた。
ツインギターバンドでリードパートを担当し、バンドの大半の曲の作曲もこなした。
2005年にBLAZE COREが解散してからはしばらく特定のバンドに所属せず、一人でぷらぷらしていたが、2008年にコピーバンド「くじら55号」を結成。
他に、「ピストンうんどう」など、思いついたときに思いついたメンバーとちょくちょくバンドを結成して遊んでいる。

WEB屋として

インターネット黎明期の90年代中盤、趣味で自作HPを持っていたりして、なんとなくHTMLの知識は持っていたものの、仕事としてHTMLを書いたのは、30歳の時に勤めた会社でECサイトの店長を務めたのが始まり。そこで楽天やヤフーショッピング、自社独自ECサイトに出品する商品ページのHTMLコーディングやWEBデザインを担当。
その後32歳で某上場企業に転職。モバゲーコンテンツを開発する部署でフロントエンドエンジニアとして従事。
入社1年半後にはbackbone.js, marionette.js を用いた大規模webアプリ開発現場でフロントのリーダーを経験。
現在は更に別の会社で、主にreact.jsを用いて日々フロントエンドエンジニアとして精進している。

おいたち

幼少期に一時、音楽に合わせてかまぼこ板を箸で叩く”自前ドラム”に夢中になるが、小学校前半は音楽と無縁に過ごす。
本当にドッジボールとミニ四駆しかしない少年だったと思う。
3年生で札幌に転校したが、そんなことはお構いなく外を走り回っていた。
しかし5年生の給食の時間に校内放送で聴いたX(現X JAPAN)の”STAB ME IN THE BACK”で音楽に目覚める。
友達からテープにダビングさせてもらい、テープが伸びるまで聴き込む。音程の狂ったテープを夢中で聴き、この頃から音感が鈍る。

しかし中学ではスラムダンクの影響でバスケ部に入部。
1年生の6月、バスケ部員にXファンを見つけ、家に遊びに行ったところギターに出会う。
彼が目の前で弾いた「紅」(ボーカルメロディーのみ)を見て感動。この日から、「ギター買って」と母にせがむのが習慣に。
9月、母のお古のクラシックギターを実家から送ってもらった。
「ドレミファソラシド」を教わった直後、ギター歴約1分でキラキラ星が弾けた直後からプロギタリストになることを決意。

この頃、METALLICA、HELLOWEEN、ANGRA、Yngwie Malmsteenなど、嗜好はヘビーメタルに偏っていった。
1月、お年玉で念願のエレキギターを手に入れる。AriaproIIの黒いギターで、形はもちろんモッキンバードタイプだった。
その後の残りの2年間の中学生活はギターとバスケだけで過ごした。

高校では軽音部に入部。
プロギタリストへの熱は下がらない。
3年生で部長に昇進した。
各学年5人程度(全員男)の部だったが、僕の代で新歓ライブをやったところ1年生が30人入部し、ちょっとしたヒーローに。

大学でももちろん軽音部に入部。
しかし「楽しくやりましょ」という軽いノリの部員とソリが合わず3ヶ月で退部。
卒業後のバンド活動を夢見て、ひたすら卒業を5年待つ。

卒業後、with9のメンボで見つけたバンドDAYBREAKに加入。
音道が主催するミッドナイトロケットに出場し、初登場2位を記録する。
このときが僕のライブハウスデビューであり、それはいきなりの六本木Y2Kであった。
その後も精力的にライブ活動を続けたが、バンド内トラブルのためリーダーを解雇し、バンド名を”BLAZE CORE”に変更。
レコード会社や音楽事務所にデモCDをばら撒いたところSOUL JAPANの目に留まり、公式サイトである「チャクチャクエンタメ」から着うたを配信していただくことに。
“Q.E.D.~証明終わり~”、”Look into…”、”そのままで”の3曲は現在も配信中である。

そんな順調に見えた活動も、2005年解散を迎える。

その後、趣味程度にと結成した「くじら55号」で遊んだり、同じく趣味程度の「ピストン運動」など、呼ばれればどこへでも参加しに行くギタリストとして適当に活動中。